確白っていうのは、自分が疑われたりしない分、自分に向けられた視線がない分、村の中の視線がどうなってるのか、っていうのを正確に把握しやすい。
それによってできることがあり、それは確白にしかできない。
っていうのが確白講座の中で一番の要かね。
多分全部まとめられないんで中途半端だけどこれだけ言っておくよ。
私の確白論はそこが要だからね、主観に囚われがちなディーター見て惜しいな、と思ったんだ。
だから、私が最初にディーターに、確白の主観的発言の害悪性を説いたのは。確白の客観性の重要性を説きたかったんだよね。
…という心づもりなのにこれだけ話が上手く噛み合わなくて主題を見失う。
これが私とディーターの相性なのだなあと、つくづく。