よく分からんが痛い奴をこっそりしていない場所でヲチると言う風習が、痛い奴を利用して自分が大暴れすると言う方向に時代がシフトしていると言うことなのだろうか?
自分が大暴れしているのは痛い奴のせい…と言う主張はなかなか効果的でもないし、ボケとしてもどうなんだ、と思わないでもない。
餅にカビが生えたら生えたところだけ削って焼けばいい話なのに、カビが生えた餅はまるごと捨ててしまうタイプだな。
まあ、実際は目に見えないカビが存在している可能性はまあまああるから削り取ればノーカウントとはならないかもしれないがそれで軽度の致命傷になったこともないから問題あるまい。
大体気違いと呼ばれてる奴=暴言を吐いている奴と言う認識だったが、暴言を引き出さないといけないとなると大して暴言を吐いてもいないか、単に気に入らない奴が存在しているのだろうか。
暴言引き出し通報居士みたいな低モラリストが存在するのは問題かもしれないが、ヲチスレに来てるのは別に良くはないにしても仕方がないことなのではないだろうか…。人狼民の民度なんて今更みたいな話だし…。
暴言だとBANされにくい話はあったかもしれないが、別にその話に入ってきたと言う認識ではなかった。tohkaさんに憧れているのかな…。
本当に何しても良いなら有利になるのは圧倒的に村人側なはずなのだが…。
ルールの範疇に限定されるとは言え人狼側が何をしてでも勝とうとするのは推奨されこそすれ制限される謂れはないのでは…。
編成も読まずにメタ扱いされるような発言をして白扱いされるバカが居なくなるだけでも結構なエンターテイナーな気がするのだが、何故かエンターテイナーは人狼に押し付けられてしまう…。
手が回らなければ下請けの下請けが全部やってくれる…と思われているに違いない。