そもそも紳士淑女と程遠い人たちが出入りする可能性のある村なら、紳士協定なるものを訴えても無力な気が…。
かといって、共通の価値観をもてる人たちを集めた身内村では、ことさら彼らが描く紳士協定など暗黙の了解になるわけでしょうし。
相手を出し抜くゲームなのだから、交渉を反古にするのが紳士的ではないと言うのはナンセンスだ、と言うのなら分かるけども紳士協定の話とは違うような。
紳士協定云々よりも、なぜ真占い師は判定騙りをしないのか?を考えたほうが良い気がするな。
なぜ真占い師が判定騙りをしないのかというと、
偽占い師は判定で嘘をつく必要性がどうしても出てくるのに対して、真占い師は嘘をつく必要性が基本的には存在しない。
つまり、判定で嘘をつかないこと=真占い師であることの最低限の担保となるから…ですね。
そしてこれは「そうしていきましょう」という取り決めなのではなく「そうしたほうが都合がよいから」という理由で採用されている概念なので、僕はセオリーと呼ぶべきだと思います。
wikipediaを引用して「紳士協定って言葉は一般的には暗黙の了解と同意の語句なんじゃないですかね」って言ってるのに、そう定義できるのは身内村だけでしょ?と言われましても…。
確定してない占い師のケースを凡例に取って、確定した占い師の判定騙りを考えるのは、馬と人間は同じ速さで走れるmigyaさんでの話をしているのと同じようなものだし…。
説明しないと分からないことを、説明済ないし協定に同意したと言う前提かのような話になってるからどうなっているんだ?と言う話じゃなかったのか。
紳士協定とか暗黙の了解に近い言葉としてはマナーとかモラルがあると思うよ。
実際に協定を結んでしまったら、紳士協定ではなくタダの協定である。
初めから認識してないという条件があれば、たとえ暗黙の了解を違反してたとしても、それは違反とはみなさない…というのが画面端さんの主張だと僕は認識してたけど、そもそも暗黙の了解が不文律であるという性質上、個人の認識は違反云々とは関係ないやろ、と僕は言いたかった。
キリスト教徒が日曜日にミサに行く習慣があるからと言って、拝火教の俺がミサに行く理由も義務もないわけだが、ミサに行かないことで不利益をうんたらと言われてもなんの話をしているんだ…と思います。
不文律をルールと解釈するのはかなり論理の飛躍があるのでは?
この前突然死者を占った確定占い師が居たけど、別にそれはルール違反じゃないし。
画面端の人が喫茶店で持ち込んだ焼き芋を食べていたら、店の人に注意されて
画面端の人「持ち込んだ焼き芋を食べてはいけないなんて、どこにも書いてないやろ!」
とキレたエピソードを思い出した。
annさんの話に戻ると、占い師は判定で嘘をつかない…というのは単なる定石で、判定騙りとういうのは定石から外れた手(奇策)だ、と定義すればそれで済む話だと思うけれども、どうしてルールという話になるのかまるでわからない。
一般的に人狼ゲームにおいてのルールというのは違反してはならないという前提があり、時には違反によってペナルティが発生する(突然死など)ものだという認識だったので、不文律=ルールとすると、判定騙り自体を行うこと自体がダメ、という話にまでなってきて、annさんの言うような交渉の余地すらなくなると思うんだが。
ウィキペディアないし一般的ないしここにいる連中の感覚でで話が解決しないからねこらび君が熱いと言う話だったのに。
僕は「暗黙の了解」と呼ばれるものの正体は「セオリー」「定石」という形で、ルールとは別に確かに存在している、と考えている立場なので…。
ルールを確認済であることを暗黙の了解とすることと、
暗黙の了解とされていることをルールと定義するのは全然別ものなんじゃね。
熊切ライフガードがthoka,thokaと言ってたときもtohkaさんの話として読んでただろ皆。
誰もtohkaさんをthokaなる人物と同一視するのは無理がある…なんて言わなかったはずだ。
まあ、ルールは公然の了解だと思うので暗黙の了解とは違うとは思うが、立場なのだから仕方がない。thokaもtohkaさんのことだと思って考えよう。